こんにちは。“ころは”店主のミキです。
早速ですが、写真のうつわは当店で扱っております、
ふくべ窯さんの「精炻器(せいせっき)」という名のやきものです。
来店され、こちらのうつわを手に取ったお客様が、
目を細めてゆっくりと眺め、
絵の部分を指でそっと優しく撫で、
「懐かしい感じがする」
「レトロな感じ」
と、口々につぶやかれているのを、何度か耳にしたことがあります。
やわらかな色合いが愛らしく、
優しい懐かしさを覚えるこの精炻器。
実は、過去にやきものの表舞台から姿を消した過去があるのです。
では、どのようによみがえり、再び脚光を浴びることになったのでしょうか。
今回はこの精炻器の歴史とその魅力についてお伝えしたいと思います。
「精炻器(せいせっき)」の誕生は昭和初期。
岐阜県の美濃地方で採掘される黄土を活用しようと開発されました。
当時、磁器作りに使われる白色の粘土が良いものとされ、色のついた粘土は雑器や工業用品に使われる安価なものと思われていました。
けれども、この地方で大量に採れる黄土。
磁器のようにきめ細かく、丈夫な器作りに向いているのです。
それを無駄にせず、何とか良いうつわにならないものかと研究開発が進みました。
もともとの柔らかな淡黄色の土の上に白い化粧土を掛けると、とても優しく温かな風合いとなり、黄土ならではの魅力が引き出されました。
やがて、櫛や刷毛で化粧土の模様を加え(加飾)、彩色や絵付けなどの装飾を重ねる技術が発展。
1935年頃には製造技術も完成し、「精炻器(せいせっき)」と名付けられ、美濃の窯元で生産されるようになりました。
しかし、その生産の歴史はそれほど長く続きませんでした。
今から50年ほど前のこと。
精炻器誕生から時を経て、世の中は大量生産化の時代となっていきました。
優美で上品さが魅力の精炻器ですが、美しく仕上げるために、一つのうつわに重ねられる手間は大変なものです。
技術と手間、時間を掛けてこそ完成する精炻器は、この大きな時代の波に逆らいきれず、いつの間にか生産されることなく、ひっそりと姿を消してしまったのです。
精炻器が表舞台から姿を消してから、約30年後のこと。
流れる月日とともに、人々のやきものに対する考え方も大きく変化しました。
無個性のもので溢れかえった大量生産時代が続く中、手作りがもたらす個性や丁寧さ、安さよりも品質を求める声が少しずつ大きくなってきたのです。
その声のなかには、美濃の「精炻器」の再生を強く願うものもありました。
そして、岐阜県の機関が、その技術を絶やすまいと、5年に渡り精炻器の技術養成講座を開催しました。
やがて、そこで学んだ受講生たちの手により、とうとう精炻器の生産が復活し、2000年には「精炻器研究所」が発足しました。
技術のともしびを消さぬよう、有志の作家たちが大切に受け継ぎ、精炻器は再び表舞台に返り咲くことになったのです
精炻器の魅力はの一つに、柔らかで温かさのこもった絵付けがあります。
まるで油絵のように、化粧土や色の重なりが立体感が際立ちます。
写真では伝わりにくいのですが、例えばお花の真ん中の”つぶつぶ”部分。
あたかも光が当たっているかのような箇所は白い色で表現されています。
また、”つぶつぶ”の一つ一つは、細かな点描で丁寧に描かれています。
お皿の絵付け全体では、ほんの小さな部分にもかかわらず、これ程までに丁寧な工夫が凝らされているのです。
おそらく、今まで見たことのなかった精炻器。
初めて手に取った時、
「懐かしい」と感じる方が多くいらっしゃるようです。
私も同様に感じたものです。
昔から大切にされている古い建築物の街並みや、
ずっと愛され続けているレトロな喫茶店。
人が自然とともに営みを続ける田舎町。
来たことなどないはずなのに、久しぶりに訪れたような気持になる懐かしさ。
この気持ちに近い気がします。
時の流れの中で、大切に丁寧に受け継がれているものがもたらす、やさしい郷愁なのかもしれません。
精炻器は陶器と磁器の間の性質を持つやきものです。
吸水率が低く、磁器と同じようにお扱いいただけます。
食洗機、電子レンジのご使用は可能ですが、
オーブンや直火ではご使用にならないでください。
いかがでしたか。
陶器の温かさと磁器の丈夫さを合わせ持つ、食器としても秀でた精炻器。
実際、手に取ってご覧いただけると、その柔らかな色の重なりと精緻な美しさにきっとうっとりされるはず。
この記事が、お読みのあなたと精炻器との素敵な出会いのきっかけとなりますように。
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