こんにちは。“ころは”店主のミキです。
先日、来年に開催する展示会の打ち合わせで愛媛県砥部町を訪問しました。
四国一のやきものの産地として有名な、砥部焼の町ですね。
せっかく砥部に訪れたという事で、砥部焼の歴史にまつわる場所を回ったりと
とても有意義な時間を過ごさせて頂きました。
展示会をして下さる作家さんの紹介や、訪問した場所の紹介は後日させて頂くとして。
今回のコラムでは、砥部焼(とべやき)についてご紹介致します。
皆さんは、砥部焼ってどんなイメージを持たれていますか?
私は、“全体的にぽってりとしたフォルムに、呉須を使った絵付けがされている磁器のやきもの”ってイメージを持っていました。
ですが、現在の砥部焼の形が出来たのは、18世紀後半のことだそう。
あれっ?もっと以前からやきものが作られていたと思っていました???
じつは、6世紀頃から砥部で作られていたのは陶器で、ある事がきっかけで磁器作りに転じたそうです。
砥部は、その地名が示す通り、砥石で有名な地域でした。
ですが、砥石を切り出す際に出るクズの処理という環境問題に、頭を悩ましていたそうです。
そんな問題を新しいビジネスに転換したのが、当時の大洲藩主である加藤泰候(かとうやすとき)さん。
そのクズが磁器の原料になると知って、磁器作りが始まったんですね。
その後、作られたやきものが「くらわんか茶碗」。
揺れる船上で使われることを想定して作られたため、持ちやすいように高台が広くて、落としても割れないように丈夫に作った茶碗です。
気付いた方もいるかもしれませんね。
現在の砥部焼でもよく見る、独特の形をしている茶碗と同じようなフォルムですよね。
そして、淡黄色の磁器「淡黄磁」が明治に開催されたシカゴ博覧会で一等賞を受賞したり、どんどん名声が高まっていきます。
昭和に入ると、柳宗悦らが砥部に訪れたことがきっかけで民藝との関わりが深くなり、
現在の普段使いのやきものとしての地位が確立していくんですね。
※ 柳宗悦は、「民藝運動」を起こした思想家。民藝運動の父とも呼ばれています。
※ 「民藝運動」とは、日常的な暮らしの中で使われてきた手仕事の日用品の中に「用の美」を見出し、活用する日本独自の運動のこと。
前述した通り、私の砥部焼のイメージは、
“全体的にぽってりとしたフォルムに、呉須を使った絵付けがされている磁器のやきもの”です。
砥部焼は、鉄分を多く含む土のために、やや黄色みがかった白の特徴があります。
土の性質上、分厚く作らないといけないために、形もぽってりしたフォルムになっているそうなんですね。
呉須などの絵付けが始まったのは、昭和から。
この頃から、砥部焼の伝統的な文様といわれる「太陽文」「唐草文」「なずな文」が一般的になりました。
今回訪問させて頂いた作家さんも砥部で活動をされていますし、多くの若手作家さんも砥部に住まわれています。
伝統が守られている中、若手の作家さんも活動しやすい環境なのだな、と今回の訪問で感じました。
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