うつわと道具やころはのBLOG

うつわと道具やころはのブログです。 生活に寄り添った“作家のうつわ”と“台所道具”についてご紹介しています。

やきものってどうやって生まれたの?

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こんにちは、うつわと道具や ころは です。

 

私たちが普段から何気なく使っているやきもの。

 

日本人にとって「やきもの」は、親しみやすく、私たちの生活を豊かにしてくれます。

 

毎日の生活には欠かせないものです。

 

また、最近では、20代~40代の女性に人気があるようです。

 

しかし、普段から使っているものの、何も知らない方も多いのではないでしょうか。

 

やきものって何?

 

やきものの歴史ってどうなっているの?

 

と疑問を持っている方もいらっしゃると思います。

 

今回は、やきものの歴史や、やきものについて調べてみましたので、ご紹介します。

 

 

やきものって何?

 

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やきものは、簡単に言うと土を成形し、高温で焼いたもので、

土をこねて、練って成形し、高温で固めたものです。

 

食器を始め、タイル、レンガ、植木鉢、アート作品など、

私たちの周りには、いろんなやきものが存在します。

 

やきものには、実用品の他、美術品や工業製品など多くの種類のものがあります。

 

私たちの身近なものに、お料理を盛り付ける器があります。

 

同じお料理が器を変えるだけで、全く違った印象を与えることもあります。

 

やきものは、味覚だけでなく、視覚をも楽しませてくれるんですね。

 

また、やきものは、長い歴史を持ち、日本各地でやきものが作られています。

 

そこで、そのやきものの長い歴史を古い順から見ていきましょう。

 

 

やきものの歴史とは?

 

今では、日本のやきものは世界一ともいわれています。

 

その「日本のやきもの」はどのような歴史があるのでしょうか。

 

日本のやきものは世界で最も長い、最も古い歴史をもっているといわれています。

 

しかし、その後は、中国や朝鮮の影響を受けてきました。

 

それは、紀元4~5世紀半ば(飛鳥時代)に、朝鮮から轆轤(ろくろ)の技術と窯(かま)が伝わり、ろくろによって1,000度以上の高温焼成が可能になり、水漏れしない、壊れにくい陶器のやきものが焼けるようになったからです。

 

では、時代別にどのようなやきものが作られてきたのか、古い順から見ていきましょう。

 

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縄文時代

日本では、日本最古ではないかといわれる土器が約16,500前に青森県大平山で発見されています。

それが、縄文時代縄文土器です。

世界各地の土器と比べると桁違いに古いものといえるでしょう。

 

弥生時代

次に古いものが弥生土器(紀元前2世紀~紀元前3世紀)です。

縄文土器より肉薄で均整のとれた簡素な実用品で、水器、鍋、鉢等が作られ、その後、祭器の土師器(はじき)や副葬品の植輪などが作られたようです。

 

飛鳥時代

この頃に作られたのが須恵器(すえき)です。

 

朝鮮半島から伝えられたもので、ろくろで成型し、高い温度で焼成して作られました。

 

須恵器は、還元炎で焼かれているので、灰黒色で堅く、盃、杯、椀、壺などの多くの種類があります。

 

須恵器は、古墳中期から平安時代にかけて作られたそうです。

 

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奈良時代

施釉陶器(せゆうとうき)が焼かれるようになったのは、7世紀の後半です。

 

緑釉(りょくゆう)の陶器に次いで、8世紀になると三色の釉をかけた奈良三彩

が作られました。

 

奈良三彩は、中国の唐三彩の影響で作られ、緑釉陶は、最初の「やきもの」と思われます。

 

また、奈良三彩の釉は緑釉と同じ低火度の鉛釉です。

 

平安時代

この頃に、須恵器に引き続き、灰釉陶器(かいゆうとうき)へと生産が行われてきたようです。

 

平安時代(9世紀)の灰釉陶器、平安中期10世紀後半には灰釉陶器の生産体制が整えられ、平安時代末12世紀から日用雑器として大量生産が可能な山茶椀を主として焼くようになったということです。

 

・鎌倉・室町時代

猿投窯の流れを汲む瀬戸では、中国の製陶法を参考にし、祭器、仏器、日用品などの施釉陶(せゆうとう)が作られたようです。

 

この時代には、現在、六古窯(ろっこよう)と呼ばれる愛知県の常滑窯、瀬戸窯、福井県の越前窯、滋賀県信楽窯、兵庫県丹波窯、岡山県備前窯の六窯をはじめ、それぞれの窯で特色のある製品が作られました。

 

現在も、各窯元では春や秋に陶器祭りが開催され、うつわ好きが集まる一大イベントとなっています。

 

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・安土・桃山時代

茶の湯の流行に伴い、瀬戸や美濃地方では施釉した茶碗、水差、香合などの優れた茶陶が製作され、京都では楽焼が生まれました。

 

また、桃山末期には、朝鮮半島から来た人々に、新しい技術がもたらされ、高麗風のやきものが盛んに作られたようです。

 

・江戸時代

桃山末期に引き続き、1610年に、有田で陶石が発見され、これを使って磁器がわが国、日本で初めて作られました。

 

また、濁手(にごしで)に赤絵技法を完成させ色絵磁器が制作されるようになり、1659年になると、ヨーロッパへ色絵磁器が大量に伊万里港から輸出されるようになりました。

 

そのため、有田焼を伊万里焼とも言います。

 

18世紀になると、有田地方の磁器の製造技術が各地にもたらされ、京都、九谷、砥部、瀬戸等で磁器が盛んに製造されるようになったようです。

 

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・明治時代以降

明治初期に石炭窯の焼成、着彩技術等が導入されました。

 

また、近代では、石膏型、機械ろくろ成形、連続窯(トンネルキルン)など多くの陶磁器製造が近代化されることになったそうです。

 

 

いかがでしたか。

 

やきものについて調べたことをご紹介しました。

 

やきものとは何か、やきものの歴史などが分かったと思います。

 

また、やきものは、手間のかかるいくつもの工法を経て出来上がります。

 

しかし、出来上がるとこの上ない感動や喜びを得ることができるでしょう。

 

やきものを作りたい方、観賞したい方も少しは興味を持ってくれたのではないでしょうか。

 

皆さんも、この機会にやきものについて考えてみてはいかがでしょうか?